こちらから通して読んでもらえるとわかりやすいのでぜひ。
十二大従星(天○星)がどういう仕組みで算出されるかがわかると
幼年期・中年期・老年期でなぜ持ち点(エネルギー)の大きさが変わるのか、
そして、自分で意識しやすい場所、意識しにくい場所がある、というのも
ご理解いただけるのではないでしょうか。
こんな感じ。
【強→弱→弱】
例)幼年期に天将があるけれど、中年期も老年期も弱い。
実家の親はベンツに乗っていましたが、自分はサラリーマンと結婚したので普段は軽に乗ってます。
今でも実家に帰った時はベンツに乗ることがあるけど、運転は父にお任せです。
みたいな感じ。
天将は一つでもあれば身強と言われるけれど、そういわれてもピンと来なかったり
前は何でも思うようにできたけれど、今はしんどくて。。というのは
だいたいこういうケースなのでは?と思います。
そこにあるけど、自分の管理下にないもの。
普段は使わなくても、ご本人にとってここぞ!というときにだけ発動するものとして
捉えてもらうと良いかと思います。
【弱→弱→強】
老年期にだけ天将や天禄という強い星があるケース。
こちらは上の例とは逆に、子どものころから意識もしないし、使ってもいないので
そういわれてもよくわかりません。。というパターンが多いように感じます。
でも!思いだしてみてください。
老年期に出る従星は、生まれた日の干と支の組み合わせで出ます。
本人が元から持っている質、ということになります。
だから頑固さや我の強さでいえば、ここで持っているのが実は一番強いのではないか。
自分には力がない(と思ってる)けれど、誰に何と言われようと諦めたくない(我が強い)ので
まわりを振り回す(周りの人間を使って思い通りの結果を得ようとする)
だからこじらせた形で使うとこんなイメージ。
お菓子やおもちゃ売り場でひっくり返ってなく子供や
あそこが痛いここがツライと言って子供や嫁を振り回す年寄り
私の脳内イメージは、「千と千尋の神隠し」に出てくる坊のような感じ。
抱っことか、もう無理じゃん。
これらは極端に書いていますので、みんながみんなこんな風ということではありません。
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身強と身弱というものを、エネルギーの大きさで比べて
《すごいかすごくないか》という尺度で見ることは過ちです。
人生を川の流れと想定した時、思いもよらないこと(濁流)にみまわれることがあります。
そういう時
身強の人は、そこを突っ切って対岸に泳ぎ着く馬力がある。
だけど自分で使わないと、平穏な時に穏やかな水面に自分が波紋を起こす人になる。
身弱の人は、自分で泳ごうともがけば波に飲まれてしまうけれど
空のペットボトルのように身を任せてしまえば、波が対岸に流してくれる。
「自分でなんとかする強さ」と「委ねる強さ」、という質の違いがあるだけです。
何年か前に新城で「身強と身弱」の講座を開催した時
講師の先生が仰った言葉で
身強はジンベイザメ、身弱はコバンザメみたいなもの。
お互いが補完しあって生きる共生関係。
コバンザメはどんなジンベイザメにくっつくかはすごく重要だし
ジンベイザメの立場でもコバンザメなら何でもいいという訳ではない
というのがとても印象に残っています。
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ここまで書いておいて今更身も蓋もないのですが
本当にその人が身強なのか、身弱なのかは、従星だけで測れるものではありません。
天馳星や天報星は、点数が少ないけど弱くはないし
身強の星を持っていたとしても、そこが中殺されている場合もあるし
点数だけで言えば身中の星が3つある人の方が点数が高くなるケースもある。
命式に含まれる五行の種類やバランスなども総合的に見るものです。
だから本当にケースバイケース。
なので、身強の星がある人は身強の生き方を意識し
身弱の人は身弱の生き方を意識し
両方持っている人は、自分の運気がアップダウンしやすいタイプだと
理解してもらえればいいと思います。
それでも何か生き辛かったり、どうするのがいいのか迷ったときは
いつでも鑑定にお越しくださいね。